目的意識なにかしらの問題にぶち当たったとき、 それを解決するための方法は 難しい数学の問題をとくためのそれと 良く似ているのではないかと、 家庭教師をしていてよく思います。 両者とも、問題が簡単なときは すべきことが決まっていて楽です。 例えば明日学校へ行かないと行けないのなら 行けばすむ話しですし、 3+3を計算しろと言われれば 足して「6」と答えればいいのです。 数学の場合、難しい問題に直面した時、どうするか? 僕はデカルトの「困難は分解せよ」 という教えにしたがって 問題を細分化して単純化します。 例えば 「3角形ABCがある。Aは30度、Bはわからない、Cの角度を求めよ」 という問題があるとする。 「Bの角度を求めて3角形の内角の和は180度を使えばCの角度がわかる。」 こういう事を念頭においてBを求めようとする生徒と、なんとなく、BもCもわからないからわかる情報を記入していこうという生徒では、やはり成績に差がでる。 Cを求めるためにBを求める、 Bを求めるためにDやEを求める。 DやEを求めてるうちに自分は本当はCを求めたいんだってことを忘れてしまう。 普段の生活でもそうです。 「自分はいったい何がしたいのか?」 僕を含め、多くの人が日々悩んでいることだとおもいます。 何がしたいかわからないから 面白いものを探してみる。 本を読んでみる。 人と話してみる。 街へ繰り出す。 ただ、その時ホントに 「自分が何がしたいかを見つけ出したい」 ということを念頭において行動してるのか? 活動的であるようにみせかけて本当は自分が楽しいと思うことしかやってないのではないか? 僕はいろんな意味をこめてこの「パンデイロ人生」 運営していますが、 運営していくうちに本来の目的を忘そうになることが多々あるので、 気をつけねばなりません。 アンケートこの文章、理解できましたか? コメントお願いします。
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